サークルの飲み会

すっげぇ人数だった。何だあの数は。多すぎるわ。うちのサークルも人増えたなぁ。そんなことを感じる飲み会だった。それにしても今年の1年にはやられそうだな。最近よく売れている「人は見た目が9割」ってあるけど、そのことを実感できるような飲み会だった。俺にしろ他の人にしろ。俺からすればメリハリのなさそうな奴らに見えるし、俺を見ている奴らは話しにくそうだったし。やっぱ見た目が9割だなぁと感じた。
メリハリといえば、一人暴走していた新入生から見れば先輩がいたけど、本当にメリハリつけないとやばい感じがする。笑うときは笑ったり、楽しむときは楽しんでもいいけど、やるときはやる、人の話を聞くときは聞くという習慣をつけたい。さもなくばナーナーなサークルになってしまうような気がする。
以前やっていたボランティアサークルで「叱る」と「怒る」の違いについて考えようということをやった。子どもたちに指導するときは(以前小学校でボランティアやレクリエーション指導をやってました)どちらが良いのだろうか。結論「叱る」のほうがいいんじゃないかという話になった。「怒る」だと感情を顕わにして、子どもたちとの関係が崩れる、「叱る」なら優しく注意するから、子どもとの関係緩和も早いのではないかという話になった。これをなぜ書いたかというと、自分のサークルでも「叱る」と「怒る」ということを考えなければならないように感じたから。俺は上下関係はどちらかというと必要と考えている人間だ。まぁ会社みたいにはしたくないけど、先輩をバカにする奴は原則許さない。しかも初対面から。まぁ関係を築けて仲良くなればタメ口でも構わないけど。昨日はそれができてなくて腹が立っていた。これは「叱る」べきことのように感じる。さらにエスカレートすれば「怒る」の領域に入ると思う。ただ「怒る」をできるような人がサークル内にいない。あえて1人いるかな。楽しむのは大いに結構だが「叱る」ができるようなサークルにしたい。
で、俺はこれから嫌われてもいいので、恐い先輩としてやっていきたい。メリハリのついてない活動は嫌いだ。やるときはやってほしい。聞くところは聞いてほしい。発表者がかわいそうだ。何か発表者の言ったことで他人と相談ならまぁ許すけど。他人のことを考えてない自分勝手な野郎は許さん。「楽しむ」や「自由」には必ず「責任」が伴う。「責任」を軽軽しくやる人は排除したい。勘違いしてほしくないけど、俺はサークルのためにやるから。そして社会に出てからのことを考えてやるから。お間違いなく。本当にできるかわからんけど…、やれるならやってみよう!