俺の講義は変化球

昨日書こうと思った記事を今日書いちゃいます☆

総会が終わって1日過ぎた。この日記を書くにあたり、過去の自分を振り返ることができた。
高校生になり、当時やっていた地元の中川区のボランティアでは自分が指導するような立場になってしまった。うちのボランティアでは高校生以上には学区担当という役割を持たされて、そこの中学生以下の会員にボランティアに必要な知識を指導した。また会員ではない小学生(これは学区担当関係なく中川区全学区)にレクリエーションを指導するという規定みたいなものもあった。自分も中学生までは指導を受け、高校から指導する立場になった。
中学校のとき、自分の地元の中学校区で講義を受けていた。指導してくれた人の指導方法は上手でなく、つまらないなぁと感じていた。代わりに俺がやってあげようかと思えてきた。
しかし実際に高校生になってやってみると、これが難しい。実際にやってみると中学生に思っていた自分の考えが間違いだと思うようになった。指導するのはそんな甘いものではないということがわかった。実際に教えたいことを全て教えようとしたら、全く相手(相手は小・中学生)にはわかってもらえなかった。さらに自分の思うように進めようとすると、「わからない」って小・中学生から言われ、わかってもらえない苛立ちと、自分の思うように教えれない苛立ちがあった。人に教えることが嫌になってきた。「お前なんて辞めろ」なんていわれたこともあったね。自分の担当していたのは自分の住んでいる中学校区だったけど、高校2年の後半からは、そこに新しく2人の後輩がやってきた。全く別の中学校区の人だった。かわいくて優しい女の子だった。すぐに仲良くなっていた。その点俺は中学校からどんどん老けてきて、オッサンぽくなってきたからね。相手にされない状態になってきた。もう嫌になってきた。指導は相変わらず面白くないと言われるし、もう後輩任せにしようと責任転嫁していた。

高校3年になり、俺は受験生なので1年休会。大学決まるまで休んだ。

大学1年になり、自分は復帰した。復帰して地元に戻った。休み前は25人くらいだった人数が、戻ったときには40人くらいいた。そこで講義をまた以前のように始めた。しかし講義スタイルは何故か変わっていた。受験生のときも、自分が大学なってボランティアに復帰したとき、どうにか楽しくやっていきたいと思っていた。そのためにはどうすればよいか本を読んだ。化学の実験の本まで読んでしまった。その結果なのか、自分の講義スタイルは全員に聞かせるのではなく、聞きたい人だけ聞かせるスタイルになっていた。自然となっていたというほうが正しい表現だろう。全員を自分のモノにしようという考えがなかった。本当はいけないことなんだけど、自分の能力では無理だと思い辞めた。テスト前の会員には研修中にテスト勉強させたし、ジュースは飲んでよいというスタイルにした。今までの小中高のスタイルではなく、大学スタイルに変えた。つまり強制講義ではなく、気楽な講義に変えたわけだ。そして会員と楽しくやろうということに決めた。しかし、それがいけないと先輩たちに注意された。教えることはしっかり教えろと。つまらなくてもいいから教えろと。何かおかしいような感じがした。また会員との余計な付き合いはやめろって言われた。いつも会員とは研修後ペチャクチャ世間話をしたけど、それもダメだと言われた。完全におかしいなぁと思えてきた。

そしてその秋、自分は左遷された。大変だといわれている学区に飛ばされた。あまりにも仲良くなりすぎたという理由らしい。意味がわからなかった。まぁでも命令だから仕方ない。従った。この左遷が自分の講義スタイルに大きな変化をもたらした。
新しい学区に移って最初の講義。そこで俺は飲み物はOKなど、いろんな講義に関することを話した。今までの講義みたいに制約で縛られているのはなしにしようということを訴えた。もちろんOKって言ってくれた。
そこの学区は7人とかなり少ない人数だった。だから最初は戸惑ったけど、少ないほうが教えやすかったね。目が行き届きやすかったし。そこの学区で実践したこと。それは心理学。心理学を使った授業をした。夏休みの集中講義で心理学が非常に面白かった。そこで色んな面白い素材を使用したので、講義でも使おうとした。
この講義スタイルが見事的中。みんなに楽しんでもらえる。講義→心理学→講義→心理学→講義というスタイルでやっていた。また講義後はパソコンゲームをして遊んだ。非常に楽しかった。ただ講義の部分を聞いてもらえるのか心配だったけど、心理学で楽しんでくれたからOKかな。心理学の終わった後は聞いていてくれたしね。まぁその後は…。
そこで思った。全て伝えようなんて無理だっていうことをね。だから頭の片隅に覚えてもらうくらいにした。また講義者からの一方通行は良くないということも同時にわかった。だから心理学を取り入れたんだけどね。まぁそんな感じで自分の講義スタイルは変わった。それが
1.全部聞かせるスタイルから、少しだけ聞いてもらうスタイルへ
2.聞いているだけの一方通行スタイルから、みんなで楽しみ知る相互作用スタイルへ
というスタイルへ変えた。野球で例えれば、講義者というピッチャーが、とにかく一方通行というストレートだけ投げるんじゃなくてじゃなくて、たまには息抜きといった変化球を投げる。時にはピッチャーが野手やキャッチャーのところに行くことも(野球だと逆なんだけどね。そこは良い例がなかったのでご了承を)。そんな感じかな。まぁこれも3年間の経験があったからできるんだけどね。こんな感じに講義スタイルも変化したんだ。こんな文章で俺の講義スタイルの変化はわかったかな。わかってくれれば幸いです。これも全部わかろう何て思わなくて良いです。少しわかってくれればOKです。

そんな中川区のボランティアサークルを大学2年で辞めた。色々事情があったり、学校のことがあってね。まぁそこで得たモノは大きいなあと今でも思っています。ちなみにこのボランティアはレクリエーションボランティアね!