亡くなってはいけなかった命

昨日書いた彼の通夜に参列して来ました。その前にある新聞にこの交通事故の記事が書かれてしました。若干修正して掲載しようと思います。個人名や住所、時間や年齢等は編集して載せます。


X日午前4時45分ごろ、A市の県道信号交差点で、アルバイトの少年(19)の普通乗用車と、会社員のNさん(5X)の大型トラックが、出合い頭に衝突した。この事故で乗用車の助手席に乗っていた、大学生のKさん(2X)が頭の骨などを折り間もなく死亡、少年も脳挫傷などで重体、中島さんも腰に軽傷を負った。
 A署で原因を調べているが、どちらかが信号を無視したらしい。少年の乗用車の右側面に、大型トラックがめり込むように衝突していた。


このような記事がありました。
今回の事故で亡くなったのは彼です。現時点で彼だけです。本当にかわいそうでありません。だって彼は完全なる無実潔白な人間ですよ。一番責任のない人間は彼なはず。運転していないんですから。ただ助席に乗っていただけですよ。その彼が亡くなった。しかも両運転手は命を取り留めている。運転もしていなく、責任が一番軽いはずの彼だけが亡くなった。大型トラックの運転手と乗用車の運転手、それに助席に乗っていた彼の3人で、一番責任が軽いのは間違いなく亡くなった彼。なのに亡くなったのは彼のみ。世の中は本当に無常です。何で彼だけ亡くならなければならなかったのでしょうか。私には到底理解ができません。こんなことで命を亡くしていいのでしょうか。もちろんNOです。なのになぜ彼は死なないといけなかったのでしょうか。本当にこの現実を理解することも受容することも私にはできません。やるせない気持ちでいっぱいです。来年の4月に大学を卒業し、これからの人間でした。かわいそうとも言えないです。

今回の事故の原因は俺には分からない。でも運転手が19歳。一番危険な年代だ。過信してしまったんだろうか。運転は免許を取って数ヶ月は慎重に運転する。しかし慣れると運転が荒っぽくなるもんな。これは免許とって数年たった人もそうだよね。常に新人という気持ちで、しかも免許取っても常に学び続けているという意識が大切ですよね。運転は本当に慎重にしなければならないですね。過信ほど危険な因子はないですね。今回の事故で再確認させられた感じです。

そんな彼と通夜式で会ってきました。俺は学校で会いたかった。しかし、あった場所はセレモニーホール。しかも棺という木の箱の中で眠っていました。安らかとは言えなかった。頭が痛々しかった。見るに耐えれない頭だった。本当にかわいそうだった。1週間前に見ていた彼ではもうなかった。無残としか言葉では表せなかった。もうなんとも言えない状態だった。俺には何も言葉にすることはできない状態だった。

相田みつをの言葉にこんな言葉がある。


「うまれたときは まるはだか
      死ぬときは それもすててゆく」


彼はまさにこの状態だった。魂はなく、体だけ置いてどこかに行ってしまった感じだった。魂だけ持っていってどこかに旅立ってしまった感じだった。

俺は今日は絶対に泣かないと決めていた。彼の前では絶対に泣かなかった。でも会場に出たら、もうダメだった。

なぜなら、俺は涙もろいから。

俺は我慢することができなかった。もう泣かずにはいられなかった。

明日はとうとう彼との最後のお別れ。本当に最後の最後のお別れ。明日は選考が入っていたけど、俺は休む。選考はやり直せるけど、彼とのお別れは明日のみ。やり直すことはできない。後悔だけはしたくない。さらにほとんどのゼミ生は明日出席する。今日は3人のみだけだった。みんなでお別れしたいからね。だから明日は自分の選考を休んでまでも行くぞ。

明日も彼の前では泣かない。泣き顔なんかでお別れしたくない。笑顔で送ってあげたい。しかし無理だろうと思う。俺は涙もろい。もらい泣きしてしまうだろう。今までもそうだった。親族の告別式だけは泣かずにいられることができなかった。明日もそうだろうと思われる。でも明日は笑顔で送るぞ。