企画系サークルと大学生活

企画系サークルに入った皆さんもそうだと思いますが、大学入学前にこのサークルに入ろうなんて思っていなかったはず。そもそもこんなサークルがあるとも思っていなかったに違いない。皆さんと一緒でサークル展示会が契機で入りました。誰に誘われたかは覚えていません。1つ上のI君だったかな。それでこのサークルの部屋に行ったんです。

そしてこのサークルに入ることになったきっかけと言えば2つ。1つはサー展のときに「青春18きっぷ」という企画があったこと。これはうちのサークルの人には話したことがあるから、サークル内では有名な話。俺のやりたいことはこれだってピーンと来てね。だからこのサークルに入ろうと決めようと思った。ところが、友達は入らないって言うからね。説得したけど、やっぱり無理。仕方ないから1人でサークルの企画へ。

私が最初に行った企画は新歓ではなく、実は知的障害者施設のお祭りでした。確か4月29日。入学してからまだ1ヶ月なのに、早くも利用者の介助。私としてはイベントのお手伝いが良かったんだけどね。でも人数的に私は介助のお手伝いになってしまった。大柄な自閉さんだったと思います。もちろん私の知っている人なんぞこのサークルにはいませんでした。だって友達みんなに断られたからね。でも2つ上のT先輩がすっごく良い人でね。このサークルでまだ友達がいなかった俺に結構話しかけてきてくれてね。それがこのサークルに入るきっかけとなった2つ目の理由。何とかこのサークルでやっていけるのかなぁと思えてきたから、入部を決定しちゃった(笑)

ただ、このサークルで活発に活動するようになったのは2年生から。1年のときは全くといってもいいほど活動はしなかった。むしろできなかったという方が正しいでしょう。なぜなら1年のときは地元でレクリエーションのボランティアをしていてね。これがむちゃくちゃ忙しかった。水曜・金曜は日にちが変わるくらいか2時や3時まで会議するケースが多々あった。さらに土日はあちこち派遣されたり、子どもたちにレクリエーション指導。キャンプ指導もしていた。だから土日がほぼ予定済みで、なかなか動けなかった。

このボランティアは2年生になったら辞めました。夜中までやっていたということで、親からも行かせたくないということになり、無理やり辞めました。自分自身もこれ以上やっていけないと思ったしね。だから辞めました。それから土日がフリーとなり、サークルにも行けるようになりました。ただ、このレクリエーションボランティアの経験が帰宅部で大いに生かされるなんて思ってもいませんでした。その典型例が企画書・報告書。特に報告書。ボランティア時代は報告書の内容でよく起こられたものでした。5W1Hが欠けていると怒られなかったけど叱られた。「怒る」と「叱る」の違いも教わった。意外にも企画系サークルで知られていなかったのが、「ホウ・レン・ソウ」です。企画系サークルに限らない。ホウ・レン・ソウは当たり前に知っているものだと思っていた。しかし、知っていたのはごく一部。正直意外に感じた。このこともボランティアで学んだことであった。

話を企画系サークルに戻しましょう。ただ、1年のときに全くやっていなかったわけではない。覚えがあるのは夏にやった、茹でずに食べた流しそうめんとか、鳳来町に行った紅葉旅行かな。1年生企画として7月のテスト後にやったんだよね。場所の名前を忘れちゃった。準備をした途端に雨が降ってきて、茹でずに流しそうめんをやったんだ。茹でなかったそうめんは塩辛くておいしくなかった。もう食べたくないですね。紅葉旅行はバスを借りてやったんだよね。バスを借りる旅行はそれ以来やっていないですね。あれも面白かったなぁ。あの頃はまだもう1つのキャンパスにもサークルの同級生がいた頃。同級生が何人いたんだ。10人もいた頃だった。最後は5人だけになってしまったけどね(留年は除く)。

そして2年生。2年といえばやっぱり初代電○男。「電○男」という名前を使って青春18きっぷ旅行をしたのは初めて。その前の年は結局グダグダになってしまい終わってしまった企画。そうならないためにも同級生のS君と早めに企画をして行った企画。私って他人からすごく電車好きみたいに思われるでしょ。まぁ事実なんだけど。でもこの頃までほとんど電車のことは知りませんでした。知っていても東海3県のみ。だから四国に行くこととなったときは相当焦った。企画者でありながらどうやって高知に行けば良いのかわからなかったしね。S君との相談を何度もしました。夜行快速が走っていることなんて企画をやっているときに教えてもらいました。本当は名古屋→京都→高知→高松→大阪→名古屋っていこうと思ったら、高知に行く夜行快速が満席になっていてしまってね。仕方なく逆ルート。先ほどの矢印を右から左に行きました。つまり最初は大阪。高松・高知と行ってから京都へ。このルートが良い結果に。旅行日によさこいまつりがやっていた。私としてはめっちゃ楽しかった。

でもこの旅行は色々ゴタゴタがあったし、プランが相当酷なプランだった。だって2泊3日の旅行で1回も布団で寝てないんだからね。1泊目はカラオケで2泊目が夜行快速のリクライニングシート。さらに2日目はカラオケオールで朝食は9時。そして昼食は11時半という相当規則正しくない旅行でした。他にも、急遽前日になってメンバーが増えるという事態にもなった。焦ってきっぷを取りました。今思えば、よく夜行快速の指定席券が取れたなぁと思っています。この人が素晴らしいくらいのトラブルメーカーでね。後輩として結構大変でした(笑)すっごい辛い旅行だったけど、ある意味楽しかった旅行ですね。だからあの思い出は今でもいい思い出となるし、あの旅行はもう出来ないような旅行でした。それだけすごい思い出だったからこそ、旅行記の我が青春が書けたんでしょうね。第二弾・第三弾も書いていたけど、それは途中で断念しました。ちなみに、旅行のブログはこちら↓
FUN帰宅部の廃校旅行!!

その旅行後、役職を担うことに。他のメンバーほど活発的でなかった私は表舞台よりも裏舞台で活躍したいと思い、会計に立候補。1人1役だったので会計にしました。まぁこれが俺の今後を陥れることに。

会計の仕事は2年生までは楽しかった。ところが、その後が大変だった。3月4月の追いコン・サー展・新歓でむちゃくちゃお金を使ってね。中にはゼミの領収書を出されることもあったおいおいって思ったけど、本人がゼミで買ったけど、使わなかったのでサークルに寄付したって言われてしまったら出さざるを得なかったので、お金を出すことに。他にも一度に出してほしかった領収書をバラバラと出される始末。え〜い、うっざいなぁと思えてきた。そんな頃に、家庭の状況もそれほど良くなく、葬儀が立て続けに続いていたからね。さらにはボランティアサークルの代表とも喧嘩するなど、私の居場所がなくなったなあと思って、何か居づらいなぁと思って、死んだほうがいいかなぁとも思えてきた。紐が目の前にあったしね。もちろん死ななかったけどね。ちょっと休んだら何とかなったし、復活できました。

ところが、まだこの後にも実習と言う大きな悩みが待ち構えていた。あれはやりたくなかったね。でもやらざるを得なかった。だから実習に行ったんだけどね。実習の前に偶然夏祭りという企画があった。これが俺の大きな心の支えとなっていた。もうこの企画のことで実習は頭の中にはなかった。気を紛らわす絶好の企画だった。だから自分としては頑張ったつもり。でもそれが終わるともう気分は一気に下降線へ。実習までの2日間は、完全に引きこもりでした。泣きまくりました。それだけ帰宅部の企画って影響があったんだなぁってその頃には気づきました。ただ、実習が始まったら、実習って楽しいじゃんって思えて、普通の生活みたいにやっていけました。ただ、一回ナイフで刺されそうになったときは泣いたけどね。今となっては良い思い出です。ちなみに、これくらいのときに会計の役職を引き継ぎ、私はフリーになりました。

実習が終わり、大学祭もやり、その後就活へ。その頃から、自分に正直になりたいし、正直な思いを後輩にも持ってほしいと思うようになり、自分探しの企画を始めることに。自分はなぜこのサークルに入ったんだろう。そしてサークルで&サークルにかかわりのある人たちから何を学んできたんだろう。さらにサークルでは今までどのような企画をやってきて、そこでの成果って何だろう。そのような企画を数個やったけど、おそらく後輩にそのような思いは気づかれてないはず。ある意味自分の就活のためでもあるし、今後同じような境遇になったときに、あんな企画があったなぁって思い出して自己分析のツールとして使ってほしかった企画をやった。そもそもそんな企画あったっけって言われるだろう企画でした。私の口からは言いません。

そして最終学年の4年生。一言で言えば「案内人」の役割。ドライバーや旅行に連れて行く立場でした。ただ、ほとんど参加はしなかったけどね。テレビに出たのもこの年。かすかにしか4年の思い出はないですね。

こんな4年間でしたね。でも実質活動したのは2年生からの3年間くらいかな。最後の1ヶ月は完全に卒業生特権を使わせてもらった気がしました。

卒業式では後輩に言葉を2つ贈りました。その贈った言葉が

「するのは失敗 何もしないのは大失敗」ということわざ
帰宅部はどの学年もMが多いんだから、とことん先輩を使いなさい。」

という2つの言葉。最初のことわざに2つのメッセージをこめたつもり。1つは卒業式でも言った、やりたい企画をやらずに終わってほしくない。それは大失敗よりも後悔となるってことね。もう1つが失敗を恐れてほしくないということ。当たって砕けてほしくて言った。そして2つ目のメッセージは、読んで字のとおり。うちのメンバーってすっごくMの人が多い。だからこそ、後輩は先輩をいじってナンボだと思っている。先輩から学べるものは学んでほしい。これはレクリエーションボランティアで学んだことを言っただけ。企画系サークルでも同様に学んでもらえるところは学んでほしかったし、これからも実行してほしいと思い言いました。ちなみに、このネタはちゃんと仕込んでありました。

まぁそんな4年間でした。今までお世話になりました。

でもまだ待ってよ!!

今週中に、隠れ企画を実行しようかなぁと思っています。2年前にやった非常に怖い(?)というか帰宅部員にとって嫌ぁ〜な企画。知っているのは同級生&1つ下の後輩の嫌らしい男性の一部。今回の参加者は…言えない。ターゲットは…当然言えない。2年前はある意味成功、でもほとんど失敗した。ターゲットとして引っ掛かったのは1人のみ。面白かったよな。またやりたいって言いながらも、あれ以来できずにいた。明後日にでも実行しようかなぁ。ただターゲットの情報が今回は相当少なすぎる(泣)&ターゲットの範囲も絞られていない。明後日の朝、参加者の一部が某サークルKに集まるから、そこで要相談だな。ウッシッシ。でもできないだろうなぁ。あまりにも情報がなさすぎるから。まぁやるかやらないかも要相談だ。

さらに、新歓と花見企画のオファーがすでに来ている。私、4月から社会人なんですけど…。まぁでも行けたら行くけどね。一応定期券は4月10日まであるんでね。それまでは学校にも行けますわ。

ただ、それでも心配だなぁ。後輩にUさんやOさん、それにSさんが私と同じような道を考えている。そしてかなり将来について悩んでいる。大丈夫かなぁ。彼女たちが自分の夢をちゃんと掴んでくれるのか心配です。ときには顔を出さないといけないですね。先に就職した先輩として後輩たちの夢を実現するためにできることはどんどんしていかないといけないですね。それがこれからOBとなってからの責務ですね。頑張りたいと思います。

以上が企画系サークルと大学生活でした。でもこのサークルも某OBが言っているように生涯現役として活動したいと思っています。これからも楽しもうと思います(笑)